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1日 テレビ放送記念日 1953年2月1日に、NHK東京放送局が、テレビの本放送を開始しました。
これはもちろん、日本初のことでしたが、当時のNHKには、専用のテレビスタジオはまだ1つしかなかったそうです。
本放送開始当日の受信契約数は、866件とのことで、そのうち都内の契約は664件だったそうです。
もちろん、テレビ受信機も大変高価で、庶民には高嶺の花でした。(その後に、街頭テレビが人気を呼んだのも、個人での購入が難しかったからですね。)
また、その受信契約のうち、なんと 482件がアマチュアによる自作の受像機だったそうですが、これは興味深いことです。(価格のこともあったのでしょうけど、ある意味で、マニアックな世界だったのかも・・・)
一方、放送に使用した機器の多くは、NHKの技術研究所が設計した国産品であったとのことですが、これは、NHKが実験に着手して23年(高柳健次郎氏が研究をはじめてほぼ30年)の成果と言えるでしょう。
テレビは進化する(NHK放送技術研究所):
2日 国際線が就航した日 1954年2月2日に、日本航空が羽田〜ホノルル〜サンフランシスコ線を就航しました。
これは、36人乗りのDC-6B型機を使用した、日本では初めての国際定期便でした。
羽田からホノルルまでは、ダイレクトで飛ぶことはできず、途中、ウェーキー島と言うところで給油をする必要があり、なんと、18時間以上もかかったそうです。
ちなみに、そのときの料金は、ホノルルまでの片道で、515ドル(この便は、全席ファーストクラス)だったそうです。(なぜか、ドル建てです!)
当時は、1ドルが、360円でしたから、18万5,400円と言うことになりますが、貨幣価値(1950年代の大卒初任給は、1万円程度)を考慮すると、とんでもない料金でした。
それでも、記念すべき第1便には、21名もの乗客が乗ったそうで、いつの時代にもお金持ちはいるものですねぇ・・・!
3日 節分 2月3日が節分になるかどうかは、その年によって変わるのですが、ここのところの何年かは、この日に迎えるようです。
節分とは、文字通り季節の分かれ目と言うことで、本来は、立春、立夏、立秋、立冬の、それぞれの前日のことをなのですが、特に立春の前日を言うことが多いです。
節分には、いくつかの行事がありますが、豆を撒くと言うのが全国的に行われています。
ただ、普通は「鬼は外、福は内」と言うのですが、ところによっては、「鬼は外」を言わずに、「福は内」だけを言うところや、「鬼も内」と言うところもあるようです。
これは、鬼を追い出してはいけないところ・・・その土地の神様が鬼だったり、地名に鬼がつくところなどでは、「鬼は外」と言うには抵抗があるためなのでしょうネッ!
4日 H-IIロケットが打ち上げられた日 1994年2月4日に、主要な部分が国産化された、H-IIロケットの試験一号機が、打ち上げに成功しました。
このときは、「りゅうせい」と「みょうじょう」と言う二つの衛星を載せて打ち上げられ、「りゅうせい」は、大気圏再突入の実験用に使用され、「みょうじょう」は、H-IIロケットの、衛星軌道への投入精度の測定や、打ち上げ時の状態を計測するなどの機能を果たしました。
以降、8号機まで、7機が打ち上げられましたが(7号機は、準備中のまま中止)、8号機の失敗により、H-IIロケットの開発は終了し、H-IIAへと引き継がれています。
5日 アメリカ政府紙幣が発行された日 1862年2月5日に、アメリカで初めての政府紙幣が発行されました。
アメリカには、それ以前にも紙幣が有りましたが、おりしも南北戦争の最中で、資金調達の意味もあって、不兌換紙幣(金などとの交換が保証されていない通貨)としての発行でした。
そのため、その後にその回収問題が、政治論争として存在したようです。
6日 海苔の日 702年2月6日に、大宝律令が施行されましたが、そこには、29種類の海産物が租税としておさめられていました。
そのうちの、8種類が海藻で、海苔がその1つとして表記されていたそうです。
このことからこの日を、「海苔の日」として、全国海苔貝類漁業協同組合連合会が制定しました。
海苔の日(全国海苔貝類漁業協同組合連合会):
7日 北方領土の日 1855年2月7日に、日本とロシア帝国との間で、日露和親条約が結ばれました。
この条約は、日本とロシアとの間で、国境の取り決めが行われたものではあったのですが、その内容が、ロシア側に一方的に有利なものであるため、不平等条約とも言われています。
また、肝心な国境の線引きについて、あいまいな部分もあるために、いまだに領土問題としての決着を見ていません。
これらのことから、1981年1月6日に、毎年この日を「北方領土の日」として、日本固有の領土をロシアの占領から開放することを願って、閣議によって決められました。
8日 郵便マークの日 1887年2月8日に、当時郵便を扱っていた逓信省が、「今より(T)字形を以って本省全般の徽章とす」と告示しました。
でも、そのすぐ後の、2月14日に現在も使用されている、「〒」に変更しました。(2月19日の官報で、間違いによる訂正とされています。)
その理由は、国際郵便の取扱いで、郵便料金の不足の印として、「T」が万国共通で使用されていたので、それを嫌って変更されたようですが、なぜ、「〒」になったのかは、諸説あるようです。
逓信省の「テ」から来ていると言うのがそれらしいですが、単純に、横棒を載せただけ・・・と言うのも、意外にもそうだったのかも!
9日 ふくの日 その語呂合わせから、2月9日は、「ふくの日」とされています。
普通は、ふぐと濁りますが、ふぐの産地である下関あたりでは、濁らずに「ふく」と言います。
それは、「福」に通じるところから、そう言われています。
ご存知の通り、強烈な毒を持っているため、調理にあたっては専門の免許制度があり、普通の調理師免許では扱うことができません。
そのようなことをしてまでも、食べたいと言う需要は多く、食通に好まれていますネッ!
下関ふく連盟公式ホームページ(下関ふく連盟):
10日 海の安全祈念日 2001年2月10日に、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が、ハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦に衝突されて沈没をしてしまいました。
これによって、乗船していた教官や実習生らのうち、9人が行方不明になってしまいました。
これにちなんで、全国水産高校校長協会が、2003年に、この日を「海の安全祈念日」としました。
祈念と言う言葉に、安全を願う気持ちが込められています。
11日 建国記念の日 紀元前660年2月11日に、初代の天皇である、神武天皇が即位しました。(古事記、日本書紀などによる。)
このことにちなんで、この日を「建国記念の日」(1967年2月11日から、国民の祝日)とされています。
この日を建国記念日としなかったのは、神武天皇(以降数代)が、実在していなかったのではないかと言う説や、天皇の即位をもって建国の日とするのは異論も有り、はっきりとした建国の日では無いと言うのが理由のようです。
12日 ペニシリンの日 1941年2月12日に、イギリスにあるオックスフォード大学附属病院で、世界で初めての、ペニシリンの臨床実験に成功しました。
ペニシリンそのものは、1929年に、アレクサンダー・フレミングによって発見されていました。
世界初の抗生物質である、このペニシリンは、発見されてから臨床実験までにかなりの時間を要しましたが、その後実用化され、医学会に大きく貢献しました。(フレミングは、ノーベル賞を受賞しています。)
13日 名字の日 1875年2月13日に、明治政府が「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出しました。
これによって、すべての国民が姓を名乗ることになりました。
江戸時代以前までは、姓を名乗れるのは武士などの特権階級だけで、ほとんど多くの平民は、名乗ることができませんでした。
1870年に「平民苗字許容令」が出て、誰でも名字(苗字)をつけることができるようになりましたが、新たに名乗る人は中々増えなかったため、上記の必称義務令が出て、必ず名乗ることとなりました。
14日 バレンタインデー バレンタインデーの起源は、諸説あるようですが、日本におけるバレンタインデーは、あるチョコレートやさんの努力によって広められたことは、有名な話となっています。
このイベントを日本で一番初めに紹介したのは、「モロゾフ」で、1936年2月12日に、神戸で発行されていた英字新聞に、バレンタイン用のチョコレートの広告を出しました。
ただし、これを読んでいたのは、外国人だったため、日本人には浸透しませんでした。
その後、1958年に、メリーチョコレートが、新宿の伊勢丹において、バレンタインセールを行いました。
これが、バレンタインデーを日本人に紹介したと言うことでは、初めてのことになるようです。
ただ、そのときには、1個50円の板チョコが、3個だけ売れたと言うことでした。
売り上げについては、170円だったと言うことなので、これでは、3で割り切れない・・・と思ったら、20円のカードも添えられたとか・・・
で、それを最初にもらった人は、一体どんな人だったのかナァ・・・?
15日 コンピュータの誕生日 1946年2月15日に、ペンシルベニア大学で、「ENIAC」(Electronic Numerical Integrator and Computer)と言う、現在のコンピュータの原型とも言える、電子計算機の完成式が行われました。
現在のコンピュータは、IC回路によって構成されていますが、当時は真空管の時代です。
1万8千本もの真空管を使っていたため、電力が、140kwも必要でしたし、重さもなんと、30トンもありました。
それでいて処理能力は、1秒間に、5千回の足し算とか、10桁の掛け算が、14回しかできないと言う、現在のパソコンからは、想像すらしにくいものでした。
でも、そこから現在に至っている訳ですから、当時の技術者には頭が下がります。
ENIAC誕生50周年記念-その歴史を追って-(UNISYS):
16日 天気図の日 1883年2月16日に、東京気象台(現在の、気象庁)で、日本で初めての天気図が作成されました。
そのときに指導をしたのは、ドイツ人の気象学者であり、船乗りでもあった、エリヴィン・クニッピングと言う人でした。
なお、実際に印刷をされて発行されたのは、1883年3月1日からです。(その日から、毎日発行されるようになり、今日に至っています。)
17日 天使の囁き記念日 1978年2月17日に、北海道雨竜郡幌加内町の母子里と言うところで、マイナス41.2度を記録しました。(この記録は、日本における最低気温の記録なのですが、残念なことに気象庁の公式記録にはなっていません。)
このことを記念するために、地域の若者が協力して、「天使の囁きを聴く集い」と言うイベントを、20年以上も続けてきたそうです。
その、「天使の囁き」とは、ダイヤモンドダストの事を指していますが、そのキラキラする様子が、天使が囁いているように見えることからきています。
この日を、「天使の囁き記念日」として、そのダイヤモンドダストを見たり、寒さの体験や雪遊びなどをして、マイナスイメージをプラスに変えていく試みをしているそうです。
とっても寒そうですが、なんかとってもロマンチックなイベントのようですので、一度は行ってみたいですネッ!
天使の囁きを聴く集い(天使の囁き実行委員会):
18日 冥王星が発見された日 1930年2月18日に、クライド・トンボーと言う、24歳の天文学者によって冥王星が発見されました。(1月23日と言う説も有りますが、それは彼が発見した写真の撮影日です。)
これは、それ以前に海王星が発見される際に、天王星の運動の乱れがきっかけになりましたが、海王星の存在だけではその乱れを説明しきれず、さらにもう一つの衛星が存在するのではないかと、予想されていました。
それを元に、なんと、アメリカのローウェル天文台で撮影された写真の中に、冥王星が写っていることをクライド・トンボー氏が発見したのです。(ただし、実際にこの冥王星が天王星の動きに影響を及ぼしているかどうかは、冥王星の質量があまりにも小さいため、疑問視されています・・・すると、まだ、その他の惑星が存在するのかも・・・!)
その後、70年以上にもわたって、この冥王星は、太陽の 9番目の惑星とされてきましたが、2006年8月24日に、国際天文学連合(IAU)がプラハで開いた総会で、太陽系の惑星から除外することを決定しました。
19日 あさま山荘事件が起きた日 1972年2月19日に、長野県軽井沢町の河合楽器の保養所「浅間山荘」(当時)に、連合赤軍が人質をとって立てこもるという事件が起こりました。
人質は、管理人の奥さんでした。
犯人は、連合赤軍のメンバー 5人で、2月28日に警察が強行突入するまで、なんと、10日間にも渡って攻防戦が続き、その模様はテレビで生中継されました。
当時、連合赤軍はいくつかの事件を起こし、警察によって追われていました。
群馬県の山中に逃げ込みましたが、警察の山狩りによって追われて、軽井沢レイクニュータウンへ逃げ込んで行きました。
最初は、無人のさつき荘と言うところに逃げ込みましたが、警察が包囲したため、そこを脱出して、たまたま逃げ込んだところが、浅間山荘でした。
結果として、人質は救出され、犯人は全員逮捕されましたが、警察官 2名と、一般人 1名が犯人の銃弾に倒れました。(ご冥福をお祈りします。)
20日 旅券の日 1878年2月20日に、外務省布達第1号として「海外旅券規則」が制定され、「旅券」という言葉が初めて法令上使われました。
これを記念して、それからちょうど120周年にあたる、1998年に、この日を「旅券の日」と定めました(外務省)。
今では、旅券と言うよりもパスポートと言った方が一般的ですが、そのパスポートも、2006年3月20日申請分からは、IC旅券が発行されています。
IC旅券とは、パスポートの中に、ICチップが内蔵されていて、それには、氏名、国籍、生年月日、旅券番号及び顔写真など、パスポートの写真のページの情報が記録されています。
それを確認することで、偽造を防ぐことにつながるわけです。
21日 日刊新聞が創刊した日 1872年3月29日(明治5年2月21日)に、日本初の日刊新聞である、「東京日日新聞」が創刊しました(宅配が始まったのは、1875年から)。
その後、大阪毎日新聞の傘下に入り、さらに、両社は合併して、毎日新聞社となり、現在に至っています。
22日 猫の日 1987年に、猫の日制定委員会が、この日を「猫の日」と制定しました。
ニャン、ニャン、ニャンと言う語呂合わせから来ていますが、制定委員会が一般公募をしてこの日になったようです。
23日 税理士記念日 1942年2月23日に、「税務代理士法」(現在の、税理士法)が制定されました。
これを記念して、日本税理士会連合会が、1969年に制定をしました。
これは、日本税理士会連合会で、11月1日を「税理士総奉仕の日」と定め、全国各地で無料による税務相談を実施していたのを基盤に、記念日的性格を付与して、税務代理士法制定日に移して制定されたものです。
この記念日の意義は、「税理士の社会的使命と税理士の職能の重要性の自覚を再確認するとともに、国民・納税者に対して、申告納税制度の普及と税理士制度の社会的意義を周知すること」だそうです。
たまたまこの時期は、所得税申告の時期にも当たりますので、申告する必要のある人は、忘れずに申告をしてくださいネッ!
24日 地雷を考える日 1995年2月24日に、カンボジアで「地雷を考える日」の集会が開かれました。
これは、地雷製造の禁止などを求めて、2000〜3000人が、プノンペン市内をデモ行進しました。
国連の定めた、「地雷に関する啓発および地雷除去支援のための国際デー」は、4月4日ですが、その日もこの日もいつでも、地雷について考えて、その除去や何よりも一般の人が被害に遭わないようにすることを願いたいと思います。
25日 箱根用水完成の日 1670年2月25日に、箱根用水が貫通しました。
箱根の芦ノ湖の水利を裾野市方面で使用するために、用水が必要でしたが、その間には湖尻峠があり、そこにトンネルを掘らなければなりませんでした。
その長さは、1200mを超え、当時の技術としては、難しい工事でした。
それでも、両側から掘り進んだトンネルは、途中硬い地盤があったりして直進的には進めなかったにもかかわらず、見事、この日に貫通したと言うことです。
26日 二・二六事件が起きた日 1936年2月26日に、当時の日本の陸軍の皇道派の影響を受けた人たちが、クーデターをしようとしました。
軍隊には、その皇道派と呼ばれるグループと、統制派と呼ばれるグループがあり、思想的に対立していました。
特に、天皇親政をスローガンに掲げる皇道派は、より過激な面を持っていて、それが高じてついにクーデターへと進展してしまいました。
この、青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こした反乱事件は、クーデターとしては未遂に終わった事件でした。
27日 国産の大型コンピュータが発表された日 1962年2月27日に、日本電気が、NEAC2206 と言う国産の大型電子計算機を発表しました。
これが国産初の大型コンピュータと言うことになっているようですが、それ以前に無かったのかどうかは、不明です。(品番から言っても、それ以前に発表されたものがあるので、それが国産では無かったのか疑問です。・・・詳細をご存知の方は、ぜひお知らせください!))
28日 ビスケットの日 安政2年(1855年)2月28日(旧暦)に、長崎の柴田方庵と言う人が、水戸藩の役人に宛てて、ビスケットの製造方法を、文書にして送りました。
ビスケットは、オランダで、「ビスコイト」と呼ばれていたもので、それに興味を持った水戸藩の役人が、その製造方法を調査するように、柴田方庵に依頼していたものでした。
この、ビスケットの語源はラテン語で「2度焼かれたもの」と言う意味だそうで・・・二度(2)やく(8)の語呂合わせも有り、 (社)全国ビスケット協会では、この語源と柴田方庵の史実を考えあわせて、 昭和55年に、毎年2月28日を「ビスケットの日」としたそうです。
29日 うるう年にしかない日 地球が太陽の周りを一回りする時間を一年としていますが、これが、365日丁度ではないため、1年につき5時間48分チョッと不足してしまいます。
そこで、4年に一度、366日として不足分をカバーしています。
ところがこれでは逆に余りが出てしまいますので、100年に一度、うるう年を行わないこととしています(100で割り切れる年)。
しかし、これを行うことでまた不足分が出てしまうので、400年に一度は、またうるう年を行います(400で割り切れる年)。
これでも、完璧ではありませんが、かなりずれを補正することができますので、現在では世界の多くの国々でこれが行われています。
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