1日 |
防災の日 |
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1923年9月1日に、関東地方で大きな地震が発生しました。
この、関東大震災は、東京地方を中心として、地震そのものによる倒壊はもちろん、その後の火災においても大きな被害が発生しました。
このことから、これからの災害に対して備えるため、この日を「防災の日」として、避難訓練や災害が起きたときの心構えや、連絡方法などを話し合うことなどを実施するよう推奨されています。
当日、避難をしたのに、その場で火災により多くの被害が出てしまった、墨田区の陸軍被服廠跡地(現在の、横網町公園)では、その後に、震災記念堂(現在の、東京都慰霊堂)が作られ、毎年この日には、慰霊祭が行われています。 |
2日 |
宝くじの日 |
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9月2日は、その語呂合わせの、9(く)2(じ)から、「宝くじの日」とされています。
これは、当選しても引き換えられることが無く、無効になってしまうことが発生していたので、1967年に、第一勧業銀行(現在の、みずほ銀行)が、制定しました。
この日には、あたりくじの引き換えのPRもさることながら、はずれ券についても、「おたのしみ賞」として、景品の抽選会も行われています。 |
3日 |
アメリカの独立が承認された日 |
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1783年9月3日に、パリ講和条約が締結されました。
これによって、1775年から続いていた、アメリカの独立戦争に終止符が打たれ、イギリスはアメリカの独立を承認しました。
なお、アメリカの独立記念日は、1776年7月4日に、アメリカ独立宣言が公布されたことから、毎年7月4日とされています。
正式には、イギリスがアメリカの独立を承認したこの日が独立の日とされるべきでしょうけど、独立戦争中にもかかわらず、宣言の翌年(1977年)からすでに、7月4日には独立記念行事が行われてきたため、この7月4日を独立の日とすることが一般化しています。 |
4日 |
関西国際空港オープンの日 |
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1994年9月4日に、関西国際空港が開港しました。
それまで大阪には、伊丹に大阪国際空港がありましたが(現在は、国内線用の空港として運用中)、騒音の問題や、発着枠の拡大の限度もあることなどから、第二の空港が必要とされてきましたが、最適な土地を確保することが難しく、泉州沖の海上に、新たに埋め立てをして空港を作ることになりました。
それによって、騒音問題も解決し、24時間オープンできる空港としてデビューしました。 |
5日 |
国民栄誉賞ができた日 |
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1977年9月5日に、王貞治氏が、初めての「国民栄誉賞」を受賞しました。
国民栄誉賞とは、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」として、内閣総理大臣が表彰することがその年に決定されましたが、その第一号として、王選手がホームラン世界新記録達成したことを契機に、受賞することになりました。 |
6日 |
マゼランが世界一周をした日 |
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1522年9月6日に、マゼランの艦隊がスペインに帰還して、世界一周を成し遂げました。
マゼランは、1519年9月20日に、トリニダッド号、サン・アントニオ号、コンセプシオン号、ビクトリア号、サンチアゴ号の、以上5隻の船に、265名の乗組員を乗せて、スペインのサン・ルーカル・デ・パラメダ港を出港しました。
大西洋を渡って、西へ西へと行く内に色々なトラブルに巻き込まれ、セブ島付近のマクタン島では、現地の人と戦闘状態になり、1521年4月27日に、戦死をしてしまいました。
船の数も、最終的には、ビクトリア号のみとなってしまいましたが、なんとかたどり着くことができました。
このときの船長は、フアン・セバスティアン・エルカーノと言う人で、すでにマゼランは亡くなっていましたから、実質的には、この人が世界一周を成し遂げたことになります。
ちなみに、マゼランは、それ以前に、東回りでマレーシア(フィリピン?)あたりまで来たことがあり、それを含めれば、セブ島のあたりまで来たことで、すでに世界一周を成し遂げていたことになります。 |
7日 |
ブラジル独立の日 |
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1822年9月7日に、ブラジルがポルトガルから独立をしました。
インドを目指していたポルトガルの、第2回インド遠征隊が、1500年4月22日に、ある陸地に漂着しました。
そこをブラジルと呼んで、ポルトガルの領土とする宣言をしました。
以降、ポルトガルの植民地とされてきましたが、この日に、在ブラジルのポルトガル皇太子が独立を宣言し、皇帝ペドロ1世となりました。
この帝政は、ペドロ2世の時代まで続きましたが、1889年に軍事クーデターが起き、以降は共和制となって現在に至っています。 |
8日 |
国際識字デー |
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1965年9月8日に、イランの国王が、軍事費の一部を識字教育にまわす提唱をしたそうです。
このことにちなんで、ユネスコがこの日を「国際識字デー」と制定しました。
世界には、文字の読み書きができない人が、まだまだ沢山います。
文字を読み書きできないことで、生きて行く上での色々な場面において、不利なことが生じてしまいます。
また、そのことが文字を学習することの障害となってしまいます。
この悪循環を打開するために、ユネスコは識字率を上げるための活動をしています。 |
9日 |
救急の日 |
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9月9日は、その語呂合わせの、9(きゅう)9(きゅう)から、「救急の日」とされています。
これは、1982年に、厚生省(現在の、厚生労働省)と消防庁が、「救急業務及び救急医療に対して皆様方の理解と認識を深めるていただくともに、救急医療関係者の意識の高揚を図る」ことを目的として定められました。
そして、この日を含む1週間を「救急医療週間」として、全国各地において、応急手当の講習会を中心とした、救急に関する様々な行事が実施されているようです。 |
10日 |
カラーテレビの誕生日 |
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1960年9月10日に、日本で初めてのカラーテレビの放送が開始されました。
これは、世界でも、アメリカとキューバに続いて、3番目のことでした。
当日は、東京と大阪のNHK(総合と教育)と、日本テレビ、ラジオ東京(現在の、東京放送)、朝日放送、読売テレビなどが、カラーでの本放送を開始しました。
現在では、テレビと言えばカラー放送が当たり前のようになっていますが、その当時では、カラー放送は一日にわずかな時間しかやっていませんでした。
そのため、カラーテレビの受信機でも白黒の放送が映り、白黒の受信機でも、カラー放送が映る(もちろん、白黒ですが・・・)必要があり、先行していたアメリカやキューバなどと同じ、NTSC方式が採用されました。
ちなみに、カラー放送の方式は、この他に、ヨーロッパやアジアなどで多い、PAL方式や、フランスやロシアなどで採用されている、SECAM方式などがありますが、それぞれの互換性はありません。 |
11日 |
公衆電話の日 |
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1900年9月11日に、日本で初めての公衆電話が設置されました。
設置された場所は、東京の新橋駅と上野駅で、当時は「自働電話」と呼ばれていましたが、まず、交換手が出て、そちらに申し込んでから接続をしてもらうものでした。
このときは、まだボックスではなく、電話ボックスができたのは、その年の10月に、京橋にできたものが最初のようです。
さらに、「公衆電話」と呼ばれるようになったのは、しばらくたってからの、1925年からだそうです。
これにちなんで、この日が「公衆電話の日」とされています。 |
12日 |
宇宙の日 |
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1992年9月12日に、宇宙飛行士の毛利さんが、スペースシャトルに乗って宇宙に飛び立ちました。
これを記念してこの日が、「宇宙の日」とされています。
ちなみに、その、1992年は、国際宇宙年でした。
世界中の人々が協力して、宇宙や地球の環境を考えて行こうと言うのがその趣旨でしたので、日本においてもその活動のための日を、一般から公募することになり、この日が、「宇宙の日」と言うことになりました。 |
13日 |
世界法の日 |
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1965年9月13日から20日まで、ワシントンで開催された「法による世界平和第2回世界会議」で、9月13日を「世界法の日」とすることが宣言されました。
これは、1961年に、東京で開催された「法による世界平和に関するアジア会議」で「世界法の日」の制定が提唱されましたが、その2年後の、1963年に、アテネで開かれた「法による世界平和第1回世界会議」で可決されて、その「第2回世界会議」で宣言されたものです。 |
14日 |
月にロケットが到着した日 |
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1959年9月14日に、ソ連(現在の、ロシア)が打ち上げた、「ルナ2号」と言う無人ロケットが、月に到着しました。
ただし、到着と言うよりは、激突した模様ですが、人類が初めて月に、ロケットを送り込んだと言うことは、記念すべきことだと思います。
ちなみに、その「ルナ2号」は、当時のソ連の、ルナ計画に基づいたもので、1号機が到着できなかったことを踏まえて打ち上げられました。
その後も、何回かの失敗を繰り返し、1966年2月3日に、「ルナ9号」がついに軟着陸に成功をしました。
「ルナ2号」が到着したのは「晴れの海」、「ルナ9号」が着陸したのは「あらしの海」でしたが、名前的には逆のような・・・ ^_^; |
15日 |
世界で初めての鉄道が開通した日 |
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1830年9月15日に、世界で初めて(客車として)の鉄道が開通しました。
これは、イギリスのリバプールからマンチェスターまでの間を、ロケット号と言う蒸気機関車で、50kmぐらいの区間を約1時間50分ぐらいで走行したようです。
もちろん、それ以前にも、貨物用やトロッコのような鉄道が、無かった訳ではありませんが、人を乗せて時刻表に基づいて走ったのは、この、リバプール・マンチェスター鉄道が初めてのようです。
また、この日の開通式で、リバプールの代議士が、首相に挨拶をしようとして下車したときに、反対側から来た列車に轢かれてしまうと言う事故が起きてしまいましたが、皮肉にもこれが、世界で初めての列車事故と言うことになってしまいました。 |
16日 |
国際オゾン層保護デー |
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1987年9月16日に、「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択されました。
このことにちなんで、1995年の国連総会で、この日を「国際オゾン層保護デー」とすることを決議して、国際デーとなっています。
日本においても、環境省が、9月を「オゾン層保護対策推進月間」と定めて、オゾン層の保護やフロン等に関する対策について、様々な普及や啓発の活動を行っています。
ちなみに、「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」の発効によって、特定フロン、ハロン、四塩化炭素などが、1996年以降全廃となり、その他の代替フロン、ハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)なども順次、全廃となりました。 |
17日 |
東京モノレール開業の日 |
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1964年9月17日に、東京の浜松町から羽田空港の間に、本格的な旅客用としては、日本で初めてのモノレールが開通しました。
モノレールとしてはこれ以前にも、1928年の大阪交通電気博覧会において、11月28日から会期末の12月3日までの、一週間足らずの間だけ運用されたものが最初のようですし、それ以後これまでに、遊園地の遊戯施設として存在したものもあったようです。
また、1957年12月16日に、上野動物園内のモノレールが開業しましたが、これがいわゆる次世代交通機関の試験線としての位置付けで、移動手段としてのモノレールとしては、これが初めてのようです。
ただし、これに乗るためには、動物園に入場をしなければならず、距離が短いことも併せて、遊戯施設としての要素が大きかったですので、この、羽田線のモノレールが、移動手段としての本格的なモノレールとしては、日本で初めてのものであったと言えると思います。 |
18日 |
カップヌードルの誕生日 |
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1971年9月18日に、カップヌードルが初めて売り出されました。
それまで、袋入りのインスタント麺はありましたが、カップに入っていてそのままお湯を注げば食べられると言うものは、初めてのものでした。
その、誕生までのお話は、カップヌードルのサイト(LIBRARY)で、ご覧ください。
当時、袋入り麺が、25円の時に、100円と言う価格で売り出されましたが、通常の食品店ではなく、伊勢丹や、三越、松屋などのデパートで販売をしたことや、新しいライフスタイルの提案とともに、広く受け入れられ、現在に至っています。 |
19日 |
苗字の日 |
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1870年9月19日に、明治政府が、「平民苗字許可(許容?)令」を出しました。
これは、戸籍制度を整備するためで、それまで平民が持っていなかった(許されていなかった)苗字を名乗ることを許可しました。
これにちなんでこの日が、「苗字の日」とされています。
ちなみに、許可令はでたものの、新たに苗字を名乗る人がなかなか増えなかったので、その後に、「平民苗字必称義務令」が出されて、国民の全員が苗字を名乗らなければならなくなりました。 |
20日 |
空の日 |
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1911年9月20日に、日本人が開発した飛行船が、東京の上空を一周飛行しました。
1940年に、「航空日」と言うのが制定されましたが、第一回目は、9月28日とされました。
その根拠は、日本で初飛行をした、1910年12月19日にちなんで制定されようとしましたが、行事を行うのにその時期は寒いと言う理由から、9月28日とされました。
それよりも、意味のある日と言うことで、翌年の、1941年の第二回目からは、上記にちなんで、9月20日とされました。
また、民間航空が戦後に再開されて、40周年にあたる1992年からは、「空の日」と言う名称に変更されれて、さらに、9月20日〜30日までを「空の旬間」として、全国各地の空港等で、航空に関する様々な催し物が実施されるようになりました。 |
21日 |
国際平和デー |
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1981年に、国連が定めた平和の記念日です。
当初は、国連総会の通常会期の開会式で、各国代表が平和を願って、1分間の黙祷を行うことが慣例となっていました。
2002年からは、9月21日に固定されて、「世界の停戦と非暴力の日」として、すべての国と人々に、せめて、この日一日だけでも、敵対行為を停止するよう働きかけています。
もちろんそれが、一日だけではなく、永遠に続くように願ってのことです。 |
22日 |
カーフリーデー |
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1997年9月22日に、フランスのラ・ロシェルで、「車の無い日」が実施されました。
そして翌年からは、フランス全体の催し物として、「En Ville, sans ma voiture (街ではマイカーを使わない)」という名称で、毎年行われてきました。
また、2000年からは、EU(欧州連合)の行政執行機関である、欧州委員会のプロジェクトとして、各国で広く行われるようになりました。
日本においても、「カーフリーデージャパン」の呼びかけによって、各地で行事が行われています。 |
23日 |
海王星発見の日 |
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1846年9月23日に、海王星が、太陽の8番目の惑星として、発見されました。
それ以前に発見されていた、天王星の軌道について研究された結果、その外側に何らかの力が働いていることが分かり、それが惑星では無いかと、イギリスの研究者の、ジョン・クーチ・アダムズや、フランスの、ユルバン・ルヴェリエなどによって言われていました。
その計算によるところで、ドイツの天文学者の、ヨハン・ゴットフリート・ガレが、ベルリン天文台において、この日に発見しました。
ちなみに、「海王星(ネプチューン)」と言う名前は、近世以降に発見された惑星の命名方法に従って、「未使用の神話上の大物」と言うことで、ローマ神話から海の神である、ネプチューンが付けられました。 |
24日 |
清掃の日 |
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1971年9月24日に、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」が施行されました。
このことからこの日が、「清掃の日」とされています。 |
25日 |
10円カレーの日 |
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1971年の11月に、日比谷公園にある、「松本楼」と言うレストランが、過激派の学生の放火により焼失してしまいました。
その、2年後に、店舗が再建されましたが、それを記念して、一人前 10円のカレーライスを提供しました。
以後、毎年、9月25日には、10円カレーとして提供するようになりました。(16回目は、昭和天皇のご病気のため中止となっています。)
ただ、安いカレーを提供するということではなく、売上金を、交通遺児育英会、阪神淡路大震災義援金、ユニセフなど(その年によって違います)に、寄付をすると言う、いわゆるチャリティーとして続いてきました。
「10円カレーチャリティー」は、その名の通り基本的に、10円です(創業 100周年のときだけ、100円でした)が、それ以上を寄付した人に、カレーを提供すると言う姿勢で、続いてきました。
ちなみに、今までの一人当たりの寄付金は、2005年が、139円、2006年が、133円などとなっていて、10円だけで食べている人は少ないようです。 |
26日 |
ワープロの誕生日 |
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1978年9月26日に、日本で初めてのワードプロセッサーが発表になりました。
これは、東芝がデータショーにおいて、JW-10としてデモ展示をしたものです。
この後には、各社から沢山の機種が発売され、次第にコンパクトになり、携帯もできるような物までできてきましたが、このときのものは、事務用の机ほどの大きさがありました。(本体、キーボード、モニター、フロッピーディスク(8インチ)、プリンターなどのセットで一まとめになったものです。)
価格も、当時の価格で、630万円もして、余程の大会社で無いと導入することはムリでした。
現在では、ワープロそのものが、パソコンに置き換わり、機種の数も少なくなってしまいましたが、このことにちなんで、この日が「ワープロの日」とされています。 |
27日 |
世界観光の日 |
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9月27日は、「世界観光の日」です。
これは、世界観光機関(UNWTO)が制定したもので、世界中の加盟各国で、観光推進のための活動が行われています。 |
28日 |
パソコンの日 |
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1979年9月28日に、NECから、PC-8001と言うパソコンが発売になりました。
それまでにも、ボードタイプのコンピュータはありましたが、フルキーボード(テンキーまで付いています!)がついたスタイルのものは、これが元祖といえるでしょう。
しかも、このパソコンは、キーボード一体型で、これとモニターを接続するだけ(データ入力装置として、カセットテープがひつようでしたが・・・)で使用できるコンピュータは、当時としては画期的なものでした。 |
29日 |
招き猫の日 |
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9月29日は、その語呂合わせから、9(来る)29(福)で招き猫の日だそうです。
招き猫は、その上げている手によって、左手を上げているものは人を招き、右手を上げているものは金を招くと言われています。
また、白いものは開運、黒いものは厄除とも言われています。
その由来には諸説あるようですが、いずれにしても良いことを招く猫であることには変わりがないようです。 |
30日 |
トロリーバス最後の日です! |
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1968年9月30日に、1952年から都内に走っていた、トロリーバスがついに最後の日を迎えてしまいました。
トロリーバスとは、電車のように架線から電気を受け取って走るバスのことです。
電車に比べてレールを敷く必要がないため、一時は都電に代わる乗り物として路線の拡大も図られましたが、架線から大幅にずれることができないため、交通渋滞のもとになったり、使い勝手が良くない(普通のバスに比べて)などの理由で、ついにこの日をもって全廃となってしまいました。
今になってみれば、もしそのまま走っていれば、CO2を排出しない乗り物として(電気を使って走るので)もてはやされたのではないでしょうか?
架線がうっとうしいということを除けば・・・今から復活してもよいくらいだと思います! |