3月30日は、シチリアの晩鐘事件が起きた日です!
1282年3月30日に、アンジュー家の兵の一団が、パレルモ(シチリアの州都)でシチリア住民の女に手を出したことに怒った住民が暴徒化して、たちまちに暴動はシチリア全土に拡大し、4000人ものフランス系の住民が虐殺されました。
当時、シチリアはフランス王家の傍流にあたるアンジュー家が支配していて、イタリア系の住民と激しく対立を引き起こしていました。
事件の発生したこの日は、復活祭の翌日に当たる月曜で、教会前には大勢の市民が、お祈りをするために集まっていました。
この暴動のとき、晩とう(夕べの祈り)を告げる鐘が鳴ったことから「シチリアの晩鐘(または、晩とう)」と呼ばれるようになりました。
また、この暴動を起こした住民たちの言葉(Morte alla Francia Italia anela=フランスに死を、これはイタリアの叫びだ)が、マフィアと言う言葉の語源(各単語の頭文字が、マフィア「mafia」)であると言う説もありますが、これは文章的に不自然で、後からのこじつけであると言う説もあります。(イタリアの辞書では、「mafia」とは、シチリア方言の「乱暴な態度」が語源と記載されているそうです。)

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